かこう       むか          おも     ひとしお          
華甲を迎えて 思い一入
                            光教寺  小田 実全

 当人は、未だに一青年僧のような心持でいましたのに、知らぬ間に還暦を迎えていました。「華」は、立派の意と辞書にはありますが、立派になったのは歳だけです。
 小僧の時代には、先輩諸老宿の還暦と言えば随分とおじいさんで、貫禄も風格も備わっておられたようにおもいます。しかし、自らを省みると何と脆弱で未熟な者だと自戒するばかりです。
 幸いに体力と気力はまだまだ捨てたものではないなどと思っておりましたが、ひたひたと押し寄せてくる老化の波は、避けようもありません。
 そろそろ店じまいに取り掛からねばなるまいと思っておりましたが、本年から、五年〜十年を目処に本堂を皮切りに六つの建物の耐震補強兼ねた修復工事に取り掛かることになりました。
 此処まで導いて下さった諸縁に感謝しつつ、気力を奮い立たせて励んでまいりたいと、『おいらの歳だぜ頑張ろう』の思い一入なのであります。
 本年も変わらぬご法愛のほどをお願い申しあげます。

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                          こ       そ      もと    つと
請う 其の本を務めよ

-生かされている わたしのいのち-

 平成二十一年十二月に正当を迎える開山無相大師の御遠諱は、一昨年から始まり、昨年十一月には、管長猊下お導師のもと、八百名の花園会員のみなさまのご参加を得て、教区遠諱法要を厳粛かつ盛大裡に執り行うことができました。心より厚く御礼を申し上げます。
 大本山妙心寺は塔頭寺院を含めて大半の建造物が、今から三百五十年から四百五十年前に建てられたものです。それぞれに時代背景と大檀越との因縁による貴重な文化遺産を有する宝庫と言っても過言ではないでしょう。
 平成二十一年一月二十日〜三月一日までの東京を皮切りとして、同年三月二十四日〜五月十日まで、京都国立博物館で、翌二十二年新春〜六週間程度を九州大宰府に新しくできた国立博物館において、その宝物が、御遠諱を記念して開催される『妙心寺展』に出品されます。詳細については改めてご案内があろうと存じますが、是非共ご覧頂きたいものです。
 平成二十年度の花園推進テーマは、「生かされている わたしのいのち」です。どこでどう思い違いすればいまのようにわがままを自由と言い換えたり、独りよがりを自立と詭弁を弄することができるのでしょうか。いかにも都合よく、耳ざわり良く聞える言葉に置き換えられ、踊らされていることに気づきながら悪用する人々と、すっかり信じて疑わない人々。これではいのちを伝えてくれた人、同じ時代を生きる人々への感謝の気持は芽生えそうにもありません。今年は、生かされていることに気づけることを日々の暮らしの目標にしようではありませんか。年頭に所感を述べてご挨拶を申し上げます。
                                宗議会議員  小田 実全

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                         しんれき     きゅうれき     はざま                    
新暦と旧暦の狭間にて
                                  宗議会議員  小田実全

 今日の学問は多岐に亘り、且つ高度になってきたと言われます。しかし、果たして本当にそれは事実なのでありましょうか。
 確かに一部においてはそうなのかも知れません。しかし、僧侶においては勿論今日の学問も必要なのではありますが、自らを省みるとき、どうしてもそれだけでは住職としての素養に欠ける趣が感じられてなりません。
 なぜならば、漢籍の読解力に不安を抱き、和歌の情感を掴み切れない、俳句の季語が適切に思い起こせない等々、日本人としての基礎教養がお粗末なのではないかと案じられるところです。
 ところで、わが教区におきましては、一昨年以来、御老僧が相次いでご遷化されました。同時に新命和尚を多数普山いたしました。その拝請の時候を拝見し、幾たびか「おや」と思わせられたのであります。と申しますのは、殆んどがまだ時期が早いのではと思われる時候の挨拶が用いられていたからです。
 『禅家書鑑』等を繙いてみると、どうやらそこに書かれている月の時候の挨拶が、そのまま用いられていることに気づきました。
 もう数年以上も前のことですが、興雲軒老大師から
   「光教寺さん。この頃、時候の挨拶が少し早いようですよ。何とかならんのかな。」
   と、投げかけられていたことを思い起こしました。

 早いのは、旧暦の時候の挨拶を新暦の暦にそのまま用いられていることが原因なのであります。八月や九月の項をご覧になるとすぐご理解いただけると思うのですが、次第に温暖化が進む今日、四十代以下のみなさんにとっては、旧暦についての理解が困難なのだろうと推測されます。
 幸い『花園こよみ』を始めととして新暦と旧暦を対照する暦が発行されています。それにより、新暦の月日に基づいて時候の挨拶を採用されると、適切なご挨拶ができます。
 瑣末なことかも知れませんが、挨拶は禅家の宝刀なのですから、疎かにはできないでしょう。
 師匠から口移しでお経を諳んじさせて頂いた時代は、遠い昔になりました。そんな新しい時代の中で生きるためには、まだまだ学び続けていかねばならないのだと痛感し、「老いて学べば死して朽ちず」と、聊斎志異『言行四志録』の一説を思い起こしながら思いつくまま意見を述べてみました。
 古いものを学び、時代に相応しい判断を示して行くことは至難の業ではありますが、先人の叱声を頂きながら、共に学び、共に行じてまいりましょう。


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